2021-07-15 第204回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第1号
本当に反骨精神で開けている人もいますよね。それを応援する人たちもいる。これって本当にもうリスクコミュニケーションが全くもって崩壊している、できていない、今回は明らかに失敗したということだというふうに思っています。 一連のこの後手後手の対応、そして町の声が届いていない、大臣が理解していない、だからこうした強要三点セットとまで書かれてしまっているような事務連絡を発出してしまうと。
本当に反骨精神で開けている人もいますよね。それを応援する人たちもいる。これって本当にもうリスクコミュニケーションが全くもって崩壊している、できていない、今回は明らかに失敗したということだというふうに思っています。 一連のこの後手後手の対応、そして町の声が届いていない、大臣が理解していない、だからこうした強要三点セットとまで書かれてしまっているような事務連絡を発出してしまうと。
誤解を恐れずに言えば、刑務所に入る方、既存のルールからはみ出してしまうという、ハングリー精神、反骨精神を持った方が多いかもしれない。その観点でも、刑務所でのアントレプレナーシップの教育というものが結構有効なんじゃないかなと思います。是非お考えいただければというふうに思います。 それから、今、民営刑務所という、社会復帰促進センターが全国に四か所ほど設置されております。
「地方消滅」、あの本が出て、それに対して、いや、そんなことはないよ、過疎が進んでいるところほどむしろ好転してきているんだという、そういう反骨精神で一生懸命やった部分もあるんですけれども、やはりミクロに落とし込んで、地域の人に現実的な、できそうな目標を示すということが非常に大事だということを申し上げたいと思います。 次の質問に移ります。やはり人口減少がテーマです。
政治を志して以来、河本敏夫先生の御指導を受けられた先生、その流れは、昭和十五年二月、衆議院本会議におけるいわゆる反軍演説で罷免された地元兵庫県の斎藤隆夫先生の反骨精神を受け継ぐものであり、周囲を照らしてその身の消え行くことをいとうな、政治家は一本のろうそくたれとの御薫陶でした。まさに先生の生きざまそのものであります。
柴山大臣は名門武蔵高校を御卒業というふうに聞いておりますが、ネットの記事でちらっと見たんですけれども、旧制の時代の武蔵というのは、戦時中でも天皇陛下の御真影をお祭りする奉安殿も学校の中に設置しなくて、陸軍の担当者が来て校長先生と一悶着あった、その反骨精神の学校だというようなふうにネットの記事で読みました。
○野田国務大臣 委員も地方の市長さんをなさって、私も少しの間地方の議会におりましたから、多分、反骨精神というのがあると思うんです。私は、やはり国会を目指した最初の理由というのは、余りに地方が軽視されている。
しかし、聞くと、物すごい反骨精神ですよ。あんな子はいないというぐらいの反骨精神。周りから何と言われようが自分はやるんだといって勉強して、大学受験もやり切った。今も生活している。こういう子供ばかりじゃないですよね。 ある子供と、高校の二年生の子供ともしゃべりましたけれども、彼は国立の医学部に行きたいといってやっている。しかし、生活保護家庭では大学に行けないんです。
河本先生の政治哲学、その流れは、遡ること昭和十五年の二月、衆議院本会議における粛軍演説によって議員を罷免されました同じく郷土兵庫県の大先輩、斎藤隆夫先生の反骨精神を受け継いでおられ、政治家は一本のろうそくたれ、周囲を照らしてその身の消え行くことをいとうなとの御指導を常々いただきました。今もなお、私の座右の銘でございます。
昔、私たちの地方で、貧しい家の子供でも、反骨精神やハングリー精神を持っていて、頑張って有名な大学に入ったと、こういう例はたくさんありました。しかし、今の子供たちは反骨精神とかハングリー精神がありません。どうせ俺の親は収入が少ないから、俺は学力が低くても当たり前なんだ、大学へなんか行けないのは当然だと考えてしまうことは、私は恐ろしいことだというふうに思っています。
だから私は、一番最初に申し上げましたように、総理のような高い次元、あるいは奥野さんのように非常に反骨精神の旺盛な長官は一つ高い次元に立って物事の御判断ができるのじゃないかと思うので、御両名からちょっと感想を聞かしていただきたい、こう思うのですが、どうでしょう。
田川自治大臣は在野時代に、大変政治倫理の必要性、また政治に対する大変厳しい反骨精神と申しまするか、私ども見ておりましても社会正義に立脚した発言が多かったということで、私は、そういう面で敬意を払っておる一人でございます。それだけに、今度の第二次中曽根内閣の中にあって、私は、一面から見れば、国民の中で新鮮な感覚を持って迎えられておるのではないかというように思います。
また、先生は、生まれ故郷米沢の風土と伝統によってはぐくまれた反骨精神、いわゆる米沢かたぎの人でもありました。 先生は、権力に迎合することなく、名利を捨てて、大胆かつ独特の悲憤慷慨口調で俗説に対する鋭い批判を行われたのでありますが、特に、官僚機構に頼り切った政治では、真に国家百年の大計を樹立することは不可能であるとの信念を強く持っておられました。
(拍手) 君には、時折問題となる言動や勇み足があり、そのため、誤解を招き、批判を生むこともありましたが、しかし、反骨精神と、歯にきぬ着せぬ率直さが君の身上であり、陽性で飾り気のない人柄、独特の愛きょうが、常に君の救いとなり、事なきを得たことも、いまはなつかしい思い出であります。
若くして、こうした苦労を身をもって味わったことが、君の質実剛健の気風を形成し、常に働く者の側に立って正しいと信じたことは万難を排して行動する反骨精神を培われたのであります。その後、兵役に服し、中国大陸各地を転戦し、戦争の悲惨さと苦しみを身をもって体験された君は、昭和二十一年復員し、価値観の混乱と精神の動揺を整理するいとまもなく、会社に復職されました。
○吉浦委員 大臣は、新聞の活字等によると、まれに見る反骨精神をお持ちでございますし、そういういままでの大臣にないいいところをお持ちのようでございますので、やはり農民との話し合いの場をおつくりにならなければ、この委員会で言葉だけおっしゃっていたのでは一歩も前進しないのじゃないか。 そこで、十七戸の反対農民の方々の中にも、あるいは条件的に話し合いをしてもいいという方もあろうかと思うのです。
たまたま委嘱された人が案外骨のある人で、反骨精神が強くて、たとえおれが委嘱されても会頭の利益は図らぬというような人が選ばれれば、それこそあなたのおっしゃるたまたまそういう救済があっただけの話であって、この商調協の運用について、いままでの通達ではこうした抜けが出てくることは十分考えられるわけで、たまたま渋川市だけに偶発的に起きたんだということではないのじゃないかというふうに疑われても仕方がないのじゃないか
在野法曹の権化と言うとちょっと大げさな言い方になりますけれども、在野法曹というのはやはり反骨精神といいますか、民主主義の社会でいろいろの見解の相違、立場の相違というものはある、そのときにどの側につくかといったら、やはり人権が侵されるおそれのある立場、国民の側に立つ。それに徹する。
正義と信念を一堅持して民族の指導者たる自党をもって戦え」と、烈々たる反骨精神を吐露して学生を激励されました。この言に先生は強烈な感銘を受け、そのときすでに新聞記者たらんとする決意を固め、対照十二年、大学卒業とともに、朝日新聞社に入社されました。
あなたは、時のいわゆる翼賛選挙に憤慨をし、持ち前の反骨精神から、敢然として広島市会議員の選挙に非推薦で立候補し、初当選をされたのであります。以来、市会議員として、その庶民性と実行力をもって市政の推進にこん身の熱意を傾け、多くの業績をあげられたことは、広島市民周知の事実であります。 そして、昭和二十年八月六日、突如としてあの原爆に襲われたのであります。
私は、日本の新聞社、新聞の発展の経過を見ると、たいへん日本の新聞は反骨精神が旺盛だ、そういう意味で政府を忌憚なく批判し、国民に真の姿、真の理想の社会を知らすという、そういう意味の反骨精神ですが、それで戦ってきた、それは高く評価されてしかるべきではないかと思っております。
これは私は、反骨精神というような表現で一応申しました。
○沖本委員 したがいまして、その辺にだいぶ、総理のお答えをこう見ていきますと、反骨精神であるとか、少し偏向がかってきておるとか、こういうふうな御見解をいろいろお述べになっていらっしゃいましたけれども、そうではなくて、いま申し上げている意味、根本的な面からとるとそのとおりだと総理はおっしゃっているわけです。